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ランディ:ニュージーランドはどうだったんですか?
里子:ニュージーランドの医療は、まぁ、私もすごい状態悪いまま行ったから最初の何ヶ月かはずっと家の中にいたし。クリニックがあって、そこに紹介されて行ったけど、インド人の先生で。その先生から大きな病院を紹介されて。そこの中にあるデイホスピタルに行って。
賀代:ニュージーランド行ったとき、なんの病気だったの?
里子:いやーなんか、鬱。鬱だね。きっと。
ランディ:えっ、英語?
里子:英語でした。
ランディ:わぁー。
賀代:そりゃ英語を使わなきゃならないよね。視野こんなに狭くなっているのに英語しゃべんなきゃいけないの?
ランディ:すんごいしんどくない?
里子:しんどいですね。いや絶対伝わってないと思うんですよね。気持ちが。
ランディ:だよねぇ。
賀代:よく鬱だってわかってくれたね。様子でわかったの?
里子:なんかこう・・。
ランディ:様子。見てわかった?
里子:なんかリストカットとかね、切ってた。死にたくて死にたくて、ずっとそれが止まらなくて。
そんなときに、母親がべてるの本を読んで、朝日新聞にもべてるの事が掲載されてて。それでこういうとこあるよっていうので、母親がニュージーランドに迎えに来て、それでそのまま国際電話したんですよ、川村先生に。
先生は「浦河にはカットクラブがあるんだわ」とか言って(笑)。
誰とも話せなかったけど、川村先生とは心が通じ合ったかわかんないけど、ちょっとこう握られた感じで。でそのことを聞いて、結局ニュージーランドではどうしようもないってことで茨城に戻って、また浦河にすぐ診察しに行って。
先生にはそん時はパニック障害とか言われていて、薬も出さなかったし、その時から。浦河には3回くらい見学に来てて、そういう状態で結局また茨城に戻って仕事したりとかして、上手くいかなくて上手くいかなくて、でその上手くいかなかった10年分ぐらいのが、がぁってたまってきて、自分を責めて自殺未遂して精神科に入院して、薬漬けになって。
母親はもう浦河にどうしても連れて来たいという思いがあって、川村先生のこともやっぱすごく信頼してたし。
賀代:そして、浦河に来たんだ。
里子:引っ越してくる1週間くらい前にまた自殺未遂したんだけど、もうなんか傷だらけのままここに来て、最初の1ヶ月は「死にたい」っていう思いが取れなくて、ずっと一人で家にいたけど、そのうち茨城から浦河にまで来て、家の中にいたらなんの意味もないなっていうのがあって、でちょっと外に出ようって思って。
それで日赤のデイケアに通うようになって、最初はホントに人を見るのも嫌だったし人のなかに行くのも嫌だったけど、ミーティングがすごく多くて、毎回体調、気分、良かった事を繰り返し言って。自分の気持ちを言うときもあるし、自分を見つめたりすることがすごく多くて、自分は状態があんまり良くなかったから、笑えないけど周りにはすごく笑いがあって、「死にたい」っていうのがずっとくっついてたんだけど、それがだんだんだんだん離れていって。
何が良かったって、やっぱり人と話したりすることとか、みんなからすごくエネルギーもらったし、多分1人でいたら「死にたい」っていうのにずっと取りつかれていたと思うけど、話してくなかでどんどんやわらかくなってきて、死にたいとは今は思わないけど、こんなに語る場があるっていうのは、なんかすごいなって思う。
そこはやっぱり茨城ではデイケアとか行ったけど、語るっていうより作業療法みたいな感じだったから、特に話すこともなくみたいな、そこが大きい違いかなって。語る場があるというのが。
賀代:しかも笑えてね。
里子:笑えてね。笑いがすごい多いなって思って。毎回なんかのミーティングですごい笑えるし。ほんと笑えない日が続いてたから、あぁなんか気がついたら笑う場面が増えたなぁっていうのはすごく嬉しいし、うん。
なんかここに来てよかったなぁって思えるし、ずっと自分の居場所っていうのが見つからなかったから、今はなんかやっと安心して日常生活を送れてるって感じで、まぁ周りの人がいるから自分がこうしてられるんだなぁってすごいあるかな。
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