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向谷地:例えば、先生が必死になって怒る、叱る。だけど、なんか叱ってると自分の怒りが向谷地に全然通ってないような恐怖心というか、恐れが湧いて出てくるともう一発叩きたくなるらしいんです。
田口:恐れのためにね。
向谷地:そうそう。ですから同じ失敗してもね。たまたまですよ、ちょっとした事で失敗して殴られて、そして次の学級会の時に一緒に殴られた友達が先生に投書したんですよね。で、先生はその投書を読み上げたんですよ。そしたら、「向谷地と僕と殴りましたね。僕を一発、向谷地二発、どうしてですか?」って。投書したんですよ。
田口:ははは。はい。
向谷地:そしたら先生は一言、「生意気だから」。へぇ、僕は生意気なんだって、自分でもびっくりしましたね。生意気オーラが出てるんですよ。
田口:俺は生意気なんだみたいな。
向谷地:これはね、生涯ずっとずっとそういうパターンですよ。
田口:うーん。
向谷地:だから本に書いてあるように、病院に勤めて仕事してそして私は病院の中のあのいわゆる治してやるんだみたいなシーンの中にすごく違和感を感じて潔さんたちとか、べてるのメンバーたちと一緒に暮らしたりとか、一緒に飯食ったりとか、そういうスタンスっていうのは医療っていう専門家の世界の中でまさにタブー、掟破りみたいなことをしてるわけですよ。先生はこう遠ざかるんですよね。で、私は結局精神科のチームから追放されて窓際になったんです。5年間窓際やってたんですよね。
で、うちの事務の上司が謝りに行けって言うから、じゃぁ謝りに行こうっと思って謝りに行くわけですよ。そしたらもうすごい事言われるんですよ。もうお前はこうだ、これもダメであれもダメで、ダメだダメだって言われて、僕は全部、もうそうの通りですってあの全部こう聞くわけですよ、そしたらその素直さがもうやたら腹が立つみたいで、結局空回りですよね。
でもそういう悪循環が逆に日の目を見てきたっていうのは、ここ10年ちょっとのことですよ。
田口:日の目を見れたのはね。
向谷地:私の人生50年のうち10年ちょっとのことなんですよ。面白いもんですね。
田口:大器晩成ですよね。ははは。
向谷地:ホントそうですよね。
田口:それで最近、向谷地さんはご親族をね、亡くされたっていうお話を聞いてて、向谷地さんが私にその事で僕は本当に勉強しましたっておっしゃるんですよ。
で、向谷地さんこれ以上一体また何を勉強したんだろうって思って、もしかしたらちょっと辛い話かも知れないけど、それを教えていただけたらと思ったんですけど。
向谷地:あぁ。そうですね。本の中にも「冬のどなた」っていう話があるんですけども、あの時に私の痴呆になった父親を介護していた母親が、あの後、ちょっと疲れが最近取れないって言って病院に行ったら、末期の肺がんだって言われて、それでその後大変だったんですよ。で、一緒に同居してる統合失調症の弟とトリプルでその事を巡っていろいろなことがあったんですね。そして母は(2006年)6月13日に亡くなったんですけど。
私は20歳か21歳くらいの時、うちの父の母が亡くなって、青森の実家にですね、お葬式で行った時に、父親が初めてその母親の亡くなった時に涙を流してる風景を見たんですよね。初めてだったんですよ、父親がそういう泣いてる風景ですよね。その時に私は丁度特別養護老人ホームへ住み込みで、ナイトヘルパーっていう介護の仕事をしてたものですから。で、やっぱり入居してる人たちをお見送りするっていう経験を沢山沢山していて、それが自分の大切なひとつのテーマになってた。その時に私は自分の中で決めたのは、私は21、父親が60前後、そして80近いおばあちゃんっていう、それはちゃんと自分の中にこう記憶に留めておく、自分が逆に父親の立場になった時にその自分の風景をちゃんと子ども達に見せなきゃならない、子ども達に見られる父親っていうそういう計画をその時に立てたんですよ。
で、それから30年近く経ってそういう場面に直面した時、自分の父親がやってきたことに、自分の中ではあっそろそろ来たと、あのかつてね、自分が頭の中でイメージした時がそろそろ来たと、これはまぁちょっと順序が逆だったんですけど。
父親が痴呆になってきてだんだん幻覚妄想になって暴れたりしてる時に、うちの母親が病院に連れてってどんなもんですか?って言った時に、まぁ認知症があるけど、体は大丈夫、20年は生きるって言われて太鼓判を先生に押されて、母親が帰ってきてがっかりしたって。(笑)でもまさか自分が逝くとは思わなかった。
今回その認知症になった父親を母親に会わせるべきかってことをとってもこう迷ったんですけど、でもこれもやっぱり夫婦ですから、どんなことがあっても、どんな惨めな見苦しいことがあったとしても、それが夫婦のひとつのプロセスとして、立証としてちゃんとそれは向き合う権利があるだろうということで父親を連れてきて会わせたんです。で、お棺に入れて最後にちゃんと父親がこううちの母親のほっぺたに手をやって、花を入れてっていうお別れする時に、やっぱり私も、あぁ今度これが自分たちの次の計画だなっていう意識があって、人間ってやっぱり死ぬのって大事な作業だと思ったんですね。
あの三浦綾子さんが晩年に、「自分には最後にひとつ大きな仕事が残ってる、それは死ぬっていう作業だ」っていうことをおっしゃってたのを聞いて、あぁ人って大事だなっていう、死ぬってことはとても大事な作業だっていう感じがして、だから私も今回自分の母親がそうやって亡くなった時には、亡くなりそうだって時に子ども達と一緒の席にこう囲んでその場に立ち合わせて、ちゃんと見ておきなさいよっていう、そういう思いで子ども達にどんどん向き合わせた。おばあちゃんのそのもう腫れ上がった、もうどうしようもない、うちの母親はどっちかと言うとそういうのは見せたくない方でしたからね、見せたんです。
でもすごいなって思ったのは、75歳で亡くなったんですけども、亡くなった後、母が使ってた財布を見たらちゃんと聖書の言葉が、母の大好きだった聖書の言葉が財布に貼ってあるんですよ。ね、さすがうちの母親だなぁっと思って中を見たらね、ヨン様のプリクラが貼ってあったんですよ。(笑い)
田口:いいですね。(笑)