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日本グループホーム学会 in 北海道 講演
2007年7月7日・8日
「安心して絶望できる人生」向谷地生良×清水里香
向谷地 そういう意味で、浦河の様々なプログラムの基本は「何がどうなっているのか」というのを皆で解き明かしていくプロセスと「何にどう対処してきたのか」「これから何をどうしたらいいのか」という大体3つの柱がいろんなプログラムの中にあるんですが、その「当事者研究」というアプローチを通じて清水さんの「サトラレ」はどんな風に見えてきたんですか。
清水 「サトラレ」ということに気持ちがいっちゃうと、相手にどう思われているのかということばかりを気にしちゃうんですよね。だから、本当の自分の気持ちは置き去りにされちゃって、相手がどう思うかばかりを気にして、空回りしている自分というのがだんだんと話していくうちに分かってきました。
向谷地 自分の本当の気持ち、願っている事を置き去りにしたまま、人にどう思われるだろうかって事を特に頑張っちゃうとつらくなる?
清水 はい。ものすごくつらいです。
向谷地 人は知らないうちにそんな頑張りをいっぱいしてるのかも知れないね。
清水 そうですね。もともと発病する前からそういうところはあったとような気はするんですけれど、サトラレになってからは凄く謙虚で、とってもくだらないことまで気にして、そのボリュームが大きくなってくると身動きが取れなくなってくるんですよね。
向谷地 清水さんの話を聞いてもうひとつ面白いと思ったのは、浦河に来て1年くらい経った時、皆が自分の病名を言う場面の中で清水さんが「そういえば私の病名なんだっけ?」という場面がありましたね。
主治医の川村先生は「あれ?清水さんに病名言ってなかたっけ?」そんなような場面だったという気がするけれど。
清水 講演の壇上でね。先生が私に話を振るときに「分裂病の清水里香さんは」と言うから、「えっ、私は分裂病だったのか?」というふうに講演先で初めて病名を告知されたされました。
向谷地 講演先で告知されたっていう人は、おそらく日本では今までいないんじゃないかと思うんだけど。
清水 そうですね。(笑い)
「あぁ、べてるの皆と同じかぁ」と思った時に、正直「あぁ分裂病で良かった!」って本当に思ったんですよね。これなら皆と同じように笑って話せる時が来るかもしれないと思って。うん。すごくほっとしました。今までの苦労が報われた気がしました。
向谷地 ここがね、ちょっと清水さんの面白いところで、他のお医者さん達はあまり患者さんに病名を伝えたがらないのは、まるでそれが一種の社会的な死の宣告にも等しい感覚がどうしてもあるので、病名を告知するのは慎重にするという事があります。
でも、少なくとも清水さんのなかにも浦河に来るまでは、統合失調症と言われないように頑張ってきたっていう所ないですか?
清水 そうですね。頑張ってきました。統合失調症と言われないように振舞ってきました。
向谷地 それが浦河に来て一年で統合失調症と言われた瞬間「やった!」みたいな感じに変化するというのは何が影響したのかな?
清水 やっぱり統合失調症と言われている仲間がいたという事、皆が幸せそうに暮らしているのを見ていたという事ですね。
それは私一人で苦労してきている苦しみが、何の形もなくただ不安と苦しみというだけだったのが、分裂病だって言われた時に、あっ皆と同じ病気ねって受け止められたんですよね。
それが栃木で「統合失調症です」って言われたら私絶対受け入れられなかったと思うし、認めなかったと思うんですよね。
でも、仲間のなかで皆と同じ病気という感じで言われたら、あっ私も同じなんだって。すごく良かったと思いました。
向谷地 そういう意味では、人の繋がりとかそういう事がとても大事なポイントになるという事ですね。
清水 そうですね。はい。
向谷地 それで、清水さんは地域で暮らしていくうえで大切にしたい事ととして二つの事を上げているんですが、ちょっと説明してもらえますか?
清水 やはり統合失調症と言われている当事者というか、私たちでも、町民としてやっていかなければいけない大事な事ってあると思うんですよね。それはこれって決まっているわけじゃないんだけど、気持ちの中で私もここの町民としてこの町に生きる、この町を作っていく一人の人間なんだっていう事をしっかり意識しているかっていう事がすごく大切になってくると思うんですけど。
向谷地 当事者活動から数えると今年でべてるも30年を迎えます。
さきほどビデオで出ていた佐々木実さんの退院の記録写真があったんですけれど、あの時から考えても、やはりべてるの一人ひとりは地域を支えていく一人になっていくっていう以上に、もう既に地域を支えている人になっていたという気がしますよね。
清水 はい。何かをして貰うっていうように考えると、過剰なケアとか管理とかの方がつきまとうんですけど、何かをしていくっていう考え方をしていくと必要なケアやサービスを利用していくという感じに私たちも考えられる様になっていくんですよね。
して貰うんじゃなくて、していくんだっていうふうに思う事ってすごく大切だと思います。
力がないと思われがちだけど力が出せない状況にある、病気もあって出しにくい状況にあるんじゃないかなっていうふうに思っています。
当事者が抱える症状や生きづらさ、ちょうど私がさっき外在化って言った様に、症状や生きづらさをどうやって自己対処していくかっていう事にも繋がってくると思うんだけど、自分の幻聴や幻覚や妄想なんかについても、その生きづらさについてどうやって対処していくかっていう事も、皆一人暮らしでやっていたら大変だけど、皆と一緒に苦しみも悲しみも喜びも研究していく事によってだんだんと自分たちの置かれている状況というのがわかってくる。
それがわかってくる事がつらくてみんな妄想の状態に入ってしまうのかもしれません。
しかし、それはすごく大切で、わかってくるとだんだんと足下が見えてきて、足下が見えてくると自分の立っている位置が見えてきて、だんだん現実が見えてくるんですよね。
そうしてくると現実の苦労とかが生まれてきて、それに対してどうやって対処していったらいいのかっていうのも、一人で考えるんじゃなくて、みんなで研究していこうと考えていくと、そんなに世の中つらい事もないっていうのがわかってきます。
向谷地 そういう意味ではね、同じようなサトラレという事で苦しんで、一切外に出られなかった仲間が、みんなと技を開発する事によって一瞬の出来事によって外に出られたりする事がありますよね。あれ不思議だよね。
清水 はい、そうですね。同じサトラレに苦しむ仲間が東京の講演に行く時に、サトラレがひどくて街中に入ると被害妄想が入ってきてとても街中を歩けないという状態に、SOSのサインを決めて、サトラレが来て私大変なのって親指を立てたら、それを見た仲間が、「おぉよしよしサトラレかぁ」と言ってサトラレさんに対して同じように親指を立ててサインを返してくれて。
それによって彼女は「あぁ私のサトラレを分かってくれる人たちがいるんだ」っていう事に気づいた途端に、なんとか都会の街中を歩く事が出来たっていう事がありました。
それで、私この前7年ぶりに再入院して、すごい辛くて被害妄想もバリバリ入ってて。で、退院して一ヶ月のサトラレの時に横浜に講演に行く機会があって、やっぱり同じく被害妄想が強くて、とても一人では行けなかったんですよね。それで、そういった時に仲間が親指を立てるサインを開発して成功したから、里香ちゃんもじゃぁサインを決めたら?という事になって。
じゃぁ、私はみんなで考えて、あまりおおげさなやり方だと恥ずかしいから、ドアをノックするように「サトラレ来てますコンコン」っていう感じだったら街中でやってもそんなに恥ずかしくないからって言って決めて、SSTで練習したんですよね。
実際にやっぱり街中でサトラレが来てどうしようもなくて、一緒に行った早坂潔さんに「来てる来てる、どうしよう」とSOSを出したら「おうそうかぁ。来てるのか」とサトラレのサインを返してくれて。
その時すっとサトラレなんかどうでも良くなってきました。
「あぁ皆に分かってもらえている」という気持ちの切り返しがついた途端に、やっぱり私もすっと消えていったんですよね。これはすごく効くなぁと思って、すごく助かっています。はい。
向谷地 そういう意味では、本当にあらゆる事に共通しているのは、どんな困難な時でも人間は一人はないという感覚、人と深く繋がっている、話す事が出来る、相談できる人がいる、具体的に自分は誰と誰が友達であるという様な感覚と言うのはとても大事なものであるということですね。
清水 はい、そうですね。
向谷地 そういう意味では不思議な事に、一人一人違うんですね。ですから、自分にあったサインを作っていくっていうかね、開発をする。
清水 それはでも結構嬉しいんですよね。自分だけのサインっていうか。それを返してもらえるっていうのはちょっとすごく有難くて。あぁ皆わかってくれているんだ、大丈夫なんだ、ここにいてもいいんだって思えるって言うのは安心感が生まれてきて。
向谷地 今回、さっきもお話しにもあったように、久しぶりに休息入院があったんですけども、それなりに苦労もあった、収穫もあったという事ですね。
清水 そうですね。私は新しい薬に変わる時にあんまり私に合わなかったのか調子が悪くなってしまって。それで、薬っていうのはなんとなく飲んでいたんですけど、こんなに私にとって大事なものだったのか、それまでなんかもしかしたら私は薬無くても健常者みたいに生きられるかなって思っていたんですけど、薬がないとどうしようもないんだって事がわかりすぎるくらいわかったという事と、やっぱりコンコンのサインじゃないけど、仲間といる事でサトラレの苦労というのが緩和されていくんだっていう事があらためて感じたっていう事と、それから病気一筋に没頭している時に仕事をするって事が病気にブレーキをかけてくれているなって、仕事があってあり難いなっていう事をすごく感じています。
やっぱりあらためて生きる苦労の大切さっていうのがはっきりわかってきた気がします。
自分のなかの人の目ばっかり気にしている自分だとか、サトラレにばっかり没頭してしまう自分だとか、なんかこう根本的な生きる苦労、自分の虚しさだとか人間としてよくあるご当たり前の生きる苦労にあらためてぶつかることを通じて、それを再確認できたなという事が本当に、ちょっとすごく単純な人だったんだけど、収穫だったなと思っています。
向谷地 それで今日のテーマは「安心して絶望できる人生」ですが、私はこの30年の間、過疎の町で活動を続けてきて思うことは、成功させたりとか、何かを変革したりとか、様々なものを作りあげてきたわけですが、いつも大切にしてきたわきまえというものがあるとするならば、そういう目に見えるものが一瞬の内にして無くなっても困らない、仮に突然べてるが無くなったとしてもうろたえないという生き方と言うことが出来ると思います。先日も、一緒に活動を共にしてきた統合失調症を抱えた仲間を私たちは失いました。
清水 うん、そうですね。
向谷地 流れ星のように天国へ行ってしまいました。やっと病気から回復して、病気とのつき合い方も上手になって、社会の中でさあこれから頑張るぞと、そういう人たちが突然まるで一つの事を成し終えたかの様に倒れていくんですよね。この30年間、私達は繰り返し経験してきました。
清水 まだ39歳でした。だけどべてるってなんかこんなふうに弔ってもらえるんだとか、こんなに仲間がいてくれる中で見守られて逝くんだっていうのがわかってくると、なんか自分が死ぬ時の事も想像しますよね。みんながこんなふうに送ってくれるんだったら安心かなとか思ってみたりとかね。なんかもしもっと亡くなるつもりで亡くなったらどうだろうとかって、常に死を身近に感じますよね。
向谷地 浦河は、お葬式は多いですよね。
清水 多いんですよ。1年に3回とか4回とかあって。
向谷地 やっぱり、高齢な人もいるのでね。そういう意味で私たちにとっては働くとか、毎日暮らすその中に人が亡くなる、身近な人が亡くなるという事がとても日常的な場面としてあります。そしていつも私も、自分がもし万が一の時はこうして皆に見送ってもらえるんだなって思いますね。浦河のお葬式って感動的ですよね。なんか暖かいよね。
清水 うん。
向谷地 仲間が亡くなる事を通して、あっ自分達は生かされているというか、また何か一つ頂いたなっていう、そういう感覚で満たされる。ですから今日のテーマは「安心して絶望できる人生」ですけれど、こんな日々の中で一遍こう亡くなるとか失うとか、又病気になってしまうとか、失敗するとか。そういう事はある種の絶望をイメージする出来事でもあるんですけど、しきりにその中で力を貰うというか、お葬式もそうなんですけど。
清水 そうですね。先ほどの仲間のお母さんが浦河にやってきて泣いていたけど、帰る時にはすっかり元気になって「べてるから元気を貰いました」って言って、ニコニコしながら帰っていったんですよね。
だからやっぱり仲間の死は悲しいけれど、でも仲間でそれを受け止めて、これからも日々が送られていくんだなというのをすごく感じました。
向谷地 ついでに紹介すると、その彼は一つの仕事をしていたんですね。
それは入院中の仲間の退院を支えるという仕事を彼はライフワークしていて、実は30年間入院している仲間の退院というものを彼は、病棟に毎日足を運んで、一緒に外出したりして、サポートをしていたんですね。
その甲斐あって、なんとその仲間は30年ぶりに退院するという事を決めて、退院日が決まったんですね。その退院日が決まったその次の朝、彼は亡くなったんですね。まるで本当にその支援した仲間の退院を見届けるように亡くなったんですね。
清水 そうですね。
向谷地 本当に何て言って表現していいのかわかんないんですけれど、そういう形で私達は小さい町で30年間営みを続けてきました。
そして、これからも続けていくんだ、そんな感じでいます。
浦河という町は北海道全体が今そうである様に、とても財政的に厳しいし、住んでいる人たちもあまり楽しい話が無くて暗い話ばっかりです。
これからもどんどん人口も減っていくし、どんどんお店が町から撤退していくし、日高支庁も無くなる事になってしまう(苫小牧や室蘭がある胆振支庁との合併)。
浦河の大通りにあった大きなスーパーも最近閉店したし、そんな事がいっぱいある中で、30年間この町で一緒に生きて、いい町にしていこう、浦河はいい町なんだっていう事にこだわっていくっていうのが30年の歩みです。そのことを今日紹介させて頂きました。じゃあ、最後に清水さん一言。
清水 ええとやっぱり「安心して絶望できる人生」っていうのは、安心して生きられる事じゃないかなぁと思います。
本当は絶望なんかしないで昇っていく人生を夢みて生きてきたんですけど、今は私は絶望も安心っていう所がいいなと思っています。
絶望ですら安心できる所で生きてるんだなとに思えたら、私の生き方はそんなに悪くないなと思えるようになってきました。
私も絶望の中で苦しみもがくんじゃなくて、安心という気持ちで今を生きています。
それがあれば病気があっても、何があってもなんとか安心して生きていけるかなって思えて今生きています。どうもありがとうございました。
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